東京鏡ヶ丘

東京鏡ヶ丘同窓会とは

青森県立弘前中学校又は青森県立弘前高等学校において修学した者およびその旧職員で、東京都内及びこれに近隣する地域に居住する者で組織され、会員相互の親睦を図り母校の発展に貢献する事を目的とするものである 

設立 昭和38年(1963年)10月

会長あいさつ

縁とは実に玄妙な言葉だと思っています。この一文字は、様々な人との出会いとその後のつながりを摩訶不思議な形で包含しています。過去を振り返るとき、そしてその年月が長ければ長いほど、その感は強くなっていくものと思っています。

その縁の一つに同窓の誼があります。鏡ヶ丘の人々にとってみれば、そこで同じ窓の下、同じ空間で3年間過ごしたという縁です。卒業した後は、その空間は物理的に遠ざかっていきますが、半面、空間を共有した仲間との交流、さらにそこから派生する空間は、逆に蓄積し広がっていくところがあります。年齢を重ね、職場や子育てなどでの濃密な縁から物理的に解放されるにしたがって、同窓という縁はますます色合いを濃くしてくるところがあります。

同窓会の存在は、その同窓の誼の一つの象徴だと思います。それぞれが様々な人生航路を進んでいく中で、同窓会は一つの港でもあると思います。ほぼすべての学校に同窓会が存在していることは、その存在意義を帰納的な形で証明していると思っています。

東京鏡ヶ丘同窓会は、港が東京にある鏡ヶ丘の同窓会です。この港は、弘前から遠く離れているところにあるがゆえに、また、この近辺に多くの同窓生が生活しているがゆえに、独自の存在意義を有していると思っています。同窓生であれば、誰でもこの港に立ち寄ることができます。立ち寄るも立ち寄らないも自由ですし、立ち寄る人の動機や思い、関与の仕方も様々です。その多様性を尊重することが大事だと思っています。しかし、立ち寄ればその瞬間から同じ空間の一員です。年齢の隔てがないゆるやかな共通空間です。

東京鏡ヶ丘同窓会の目的は「会員相互の親睦を図り、母校の発展に貢献する」とされています。これまた玄妙な言葉です。同窓会は何かの利益を求める集団ではありません。その活動は、各人の意志に基づく可能な範囲での貢献の総和によって支えられています。各人の多様性が尊重されながら、この縁が各人にとって有意義なものとなり広がっていくとすれば、目的の相当部分が実現していることにもなると思います。言葉を変えれば、目的とは各人が追求するものであり、その総和が会にとっての意義ということかもしれません。

半世紀以上も前の話になりますが、私ども世代が在学中の時、当時の校長先生は「一隅を照らす人間になれ」、「持って生まれたものを深く探って強く引き出す人間になれ」、「天下の賢たれ」という言葉を繰り返されました。高体連大会に出場する我々を、簡潔な激励の言葉の次に応援歌「北斗の黙示」を大きな声で独唱することにより送ってくれました。同じ窓の内でそのような原風景に触れながら、みんな、同じ窓から外を眺め、その先を考えていたと思います。今でも同期の集まりにおいては、母校の文武の活躍があれば話題となって喜び合い、最後は「北斗の黙示」を歌うことによって締めるのが常です。同じ窓は半世紀を超えて存在し続けています。

鏡ケ丘は、明治、大正、昭和、平成、令和と幾多の時代をつないできました。旧制弘前中学校から弘前高校へ、男子校から共学制へ、その他の時代の推移と意識の変化の連続にあっても、東京鏡ケ丘が変わらぬ港であり続けるために、昭和、平成、令和の各世代の幅広い参加を期待しています。まだこの港に立ち寄ったことのない人も、しばらく遠ざかっていた人も、広く立ち寄っていただければと思います。鏡ケ丘同窓生の皆様に、本会の活動趣旨についての一層のご理解とともに、形を問わずそれぞれができる範囲内でのご協力をいただければ幸いです。

縁とは摩訶不思議なものであり、伝統とはみんなで創っていくものだと思っているからです。

令和5年5月
東京鏡ヶ丘同窓会会長
三國谷勝範

歴史

明治17年(1884年)青森県中学校として創立し10月6日開校式を開催

明治42年(1909年)青森県立弘前中学校と改称

昭和23年(1948年)青森県立弘前高等学校と改称

昭和23年(1948年)10月6日 鏡ヶ丘同窓会を創立

昭和38年(1963年)10月6日 東京鏡ヶ丘同窓会 第1回総会開催(初代会長宇野要三郎) 

以後ほぼ年1回の総会開催

平成7年(1995年)東京鏡ヶ丘同窓会の会報「弘中・弘高TOKYOかわらばん」創刊 以後年1回発行

令和2年、3年は新型コロナウイルス感染拡大のため総会開催断念

令和4年10月、3年ぶりに総会・懇親会を東京神田・学士会館にて開催

<歴代会長>

昭和38年~44年宇野要三郎(明31卒)
昭和45年~53年安部義宗(明38卒)
昭和54年~平成4年古田十郎(大11卒)
平成5年~11年宇野四郎(昭10卒)
平成12年~15年小山内裕(昭29卒)
平成16年~19年立石勝規(昭37卒)
平成20年~令和3年八木橋惇夫(昭31卒)
令和4年~三國谷勝範(昭45卒)